昔は屋台だった『江戸前寿司』の歴史


寿司といえば、握り寿司を思い浮かべる人が多いと思います。しかし、握り寿司が登場したのは江戸時代からです。江戸前寿司の歴史を紹介します。

 

江戸前寿司誕生のきっかけ

江戸前寿司は文政年間(1800年代初頭)に、華屋與兵衛によって確率されたと言われています。発酵させる寿司と違い、酢を使って握ることですぐに食べられる江戸前寿司は人気を博します。元々江戸では刺身が人気で、屋台で売られていたことや、濃口醤油の生産地である野田が近かったこと、白米の人気があったことなどから屋台料理として好まれ、たちまち江戸っ子達にもてはやされ、街じゅうに広がりました。

江戸前寿し 屋台

江戸前寿し 屋台

※華屋與兵衛(はなやよへい):1824年に華屋を開業。ワサビを使い、現在の寿司に非常に近いものを出したことから、一般には握り寿司の考案者とされる。

 

江戸前寿司の名前の意味

江戸前」という言葉には二つの意味があります。一つは場所、江戸の前、現在の東京湾を示します。当時の東京湾では今よりも魚介が豊富に獲れました。もう一つは仕事で、「江戸前の仕事」という意味を含みます。当時は冷蔵庫などなく、交通手段も普及していません。魚介を美味しく保存の適した状態にするため、酢や塩で「締める」、加熱して「煮る」、たれに「漬け込む」という技法が確立されました。

 

江戸時代、マグロは不人気なネタだった?

現代では人気の寿司ネタであるマグロですが、江戸時代には寿司ネタとして好まれず、普通の魚に劣るという意味で「下魚(げざかな)」と呼ばれていました。鮮度の落ちやすいマグロは醤油に漬けられた赤身の「ヅケ」で提供され、大トロ中トロなどの部位が食されるようになったのはここ50年くらいのことです。

 

江戸前寿司の形が全国に広まった理由

江戸時代、寿司は屋台で食べることが主流でした。しかし、第二次世界大戦直後、厳しい食料統制がされ寿司店は表立って営業できなくなります。そこで東京で寿司店の組合の有志が一合の米と握り寿司10個(巻き寿司なら4本)を交換する委託加工として正式に営業を認めさせ、他の地域でもこれに倣って江戸前寿司の形が全国に広がりました。

今では日本全国に30,000軒程度存在するとされ、分布を見ると寿司店は東日本に多く、西日本に少ないのは、江戸から広まったことがはっきりと示されている。

(noren Taro)

江戸前寿司のネタについて


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