ざっくり歴史人物シリーズ!キリシタン『天草四郎』


江戸時代の初め、ひとりの少年が多くの領民を率いて江戸幕府に反旗を翻(ひるがえ)します。九州で起きた島原の乱(島原・天草の乱、島原・天草一揆とも呼ばれる)の中心人物であった十代のキリシタンの少年、天草四郎とはどのような人物なのでしょうか?

天草四郎(月岡芳年 画)

天草四郎(月岡芳年 画)

 

島原の乱

江戸時代初期、1637年に勃発した「島原の乱」は肥前島原半島と、肥後天草諸島の百姓やキリスト教徒が起こした日本史上最大規模の一揆(いっき)でした。幕府側の記録では、島原軍の勢力37,000に対し、幕府軍は125,800人の人員を送り込み一揆を鎮圧していますが、その犠牲は幕府軍の死傷者8,000人以上に対し、島原軍は一万人以上が投降したとも、全滅してしまったとも言われています。多くの犠牲者を出した一揆に至るまでには、長らくに渡る島原や天草の人々の苦悩や鬱憤(うっぷん)が積み上げられていました。江戸時代に入ってすぐの1612年、徳川2代将軍徳川秀忠の時代にキリスト教禁止令が出されます。島原はキリシタン大名有馬晴信(ありまはるのぶ)によって治められており、キリスト教徒も多くいた地域でしたが、1614年に有馬氏に代わって松倉重政(まつくらしげまさ)による統治が命じられます。松倉氏による厳しい年貢の取立てに加え、キリスト教の弾圧が始まり、年貢が払えない者や改宗を拒む者には拷問や処刑が下されました。一方の天草も、元はキリシタン大名であった小西行長(こにしゆきなが)によって治められていたものの、関ヶ原の戦いで敗れた後は寺沢広高(てらざわひろかた)による統治が行われ、島原と同じように圧政とキリスト教の弾圧によって領民は苦しめられていました。苦しい生活の中で、天草の人々の心の支えとなっていたのが、天草を追放される前に宣教師が残していった予言です。「25年後に16歳の神童が現れる」といった内容の予言を胸に秘めて耐えていたところ、宣教師が去ってからちょうど25年目にあたる1637年に現れたのが天草四郎です。そして着々と準備を重ねてきた島原の乱の首謀者たちは、1637年、有馬村のキリシタンたちによる代官の殺害を発端として一揆を起こします。島原藩に続き天草でも天草四郎をかつぎあげ、天草を支配していた幕府側の拠点を攻略します。しかし、最初こそ上手くいったものの、圧倒的な戦力の差を前にして疲弊していった一揆軍は次々に破れ、壊滅してしまいました。

島原の乱図屏風(秋月郷土史館蔵)

島原の乱図屏風(秋月郷土史館蔵)

 

天草四郎とは?

島原の乱で指揮を執り、果敢に戦った少年というイメージのある天草四郎ですが、実在した人物であることは確かながら、残されている資料が乏しく、どういった人間だったのかは詳しくわかっていません。本名は益田四郎時貞といい、敬虔(けいけん)なキリスト教徒であった益田甚兵衛の息子として生まれました。出生地は諸説あり、天草諸島にある大矢野島(現在の熊本県上天草市)や、江部村(現在の熊本県宇土市)、または長崎生まれといった説もあります。幼くして神童と呼ばれ、裕福だった事もあり優れた教養を身に付けていたとも言われます。盲目の少女に触れただけで彼女の目が治った海の上を歩いて渡ったなど様々な奇跡の逸話があるも、キリスト教徒たちをまとめるため、神格化されたイメージがこのような話を生み出したと考えられています。島原の乱の当時、四郎はまだ少年であったため、実際の計画を立てたり指揮を執ったのは周囲の大人たちであり、士気を上げるためのシンボルとして担がれていたと見られます。

 

天草四郎の最期

敗走した一揆軍は最後の抵抗をするため廃城だった原城に3カ月に渡って立て籠もるも、食料や弾薬が尽きたことにより、最期は幕府軍によって攻め入られ全滅します。この時に四郎も討ち取られました。

 

天草四郎の軌跡を辿る

十代で若くしてその命を落としていった天草四郎は数々の小説や映画、舞台などでその生涯を描かれており、天草四郎の銅像も数多く存在します。

原城の天草四郎像 (長崎県南島原市南有馬町乙1023)

原城の天草四郎像
(長崎県南島原市南有馬町乙1023)

日本一の天草四郎像

日本一の天草四郎像 (全長15m、熊本県上天草市大矢野町登立910)

天草四郎像

天草パールセンターの天草四郎像 (熊本県上天草市松島町合津6225-8)

また天草のキリシタンたちが辿った歴史は天草四郎メモリアルホール(上天草市)やサンタマリア館(天草市)など多くの施設で見ることができます。歴史の大きな流れに翻弄された隠れキリシタンたちの様子や天草四郎について学んでみてはいかがでしょうか?

◆天草四郎メモリアルホール

熊本県上天草市大矢野町中 977-1、TEL 0964-56-5311

◆サンタマリア館

熊本県天草市有明町上津浦美濃ノ越1940-1、TEL 0969-45-8110

(noren Taro)


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