
日本の伝統芸能の一つとして知られる歌舞伎は、海外でも高い人気を集めています。有名な歌舞伎役者が海外公演を行ったり、英訳パンフレットが配布されたりと、日本でも外国人に歌舞伎を楽しんでもらうために様々な活動を行っていますが、こうして世界中に歌舞伎のことが伝わるまでには、歌舞伎の誕生と発展による日本の娯楽の変化や歴史の変化による衰退、外国での新たな評価など、400年以上もの歴史の積み重ねが必要でした。
歌舞伎の誕生
歌舞伎が誕生したのは今からは400年以上前のことです。当時の日本は江戸時代と呼ばれる時代に入り、領地の奪い合いによる戦争もひと段落して、平和な時代に入ったころだったのですが、このとき奇抜な恰好をした男の姿をまねて踊りを踊った女性が、歌舞伎を生むきっかけとなった「出雲の阿国(お国))」と言われています。この踊りのモチーフとなった奇抜な恰好は、当時の秩序に反して行動する「ふへん者」と呼ばれる人たちがしていた恰好で、これから先の歌舞伎のモチーフとしてよく取り上げられるようになります。
女性の歌舞伎から男性の歌舞伎へ
歌舞伎の始まりが女性による踊りだったように、生まれたばかりの歌舞伎は女性が行うものとして扱われていました。内容も今の歌舞伎のように芸術性や技術が問われる内容ではなく、美人の女性が踊るのを見るのを楽しむ娯楽としての側面が強く、秩序を乱す要因として国から禁止されるようになってしまいました。それでも歌舞伎の人気は高く、法に触れないために成人前の少年に踊りを踊らせるようになり、さらにそれも禁止されると、今度は成人を迎えた男性が歌舞伎を踊るようになり、女性の動きを再現する必要がでてきたことから、芸術性の高さや技術の高さが求められるように変化していきました。
物語としての歌舞伎
元々は派手な恰好や踊りを見せるための歌舞伎でしたが、男性が行うようになったり、高い技術が要求されるようになったりと、見どころが変化するようになるにつれて、歌舞伎に物語を加えるようになってきました。当初は短い話を連続で行うスタイルが一般的でしたが、徐々にストーリーは長く複雑なものになっていき、登場人物も複数登場するようになったり、現在の歌舞伎のスタイルに徐々に近づいていきました。さらに役者にも多様性が求められるようになり、格好いい男性を演じるスターが登場するようになったり、美しい女性のような踊りが得意な役者、観客を笑わせるセンスを持った役者など、様々な得意分野を持った歌舞伎役者が次々と登場し、話題を呼びました。
江戸時代から明治時代へ
現代の歌舞伎の様式が生まれ、多くの歌舞伎役者が誕生した江戸時代は、歌舞伎の発展に大きく影響しました。当時の日本は海外との交流をほとんど絶っていたため、その文化も他国の影響がほとんど見られない独自性の強いものだったのですが、江戸時代から明治時代に入ると、外国との交流が積極的に行われるようになり、文化面でも多くの変化が現れるようになりました。このころの歌舞伎も、海外の要人などの鑑賞に堪えうる文化的なものにしたいという考えを国が持ち始めたことで、娯楽性が強い派手な衣装などは抑えて、時代考証に力を入れ、せりふ回しをより事実に近いものにした新しい歌舞伎が提案されるようになりました。当初の近代化された歌舞伎は民衆にはあまり受け入れられず、公演の機会も少なくなってしまいましたが、世間の意識の変化とともに歌舞伎の変化も受け入れられるようになっていき、従来の古典的な歌舞伎と合わせて、多くの方に見られるようになりました。
戦後の衰退と復興
明治時代から大正時代にかけての歌舞伎は、従来の古典落語の継承が活発に行われるようになったり、近代的な新しい歌舞伎が人気を集めるようになったりと、様々な変化を見せていましたが、第二次世界大戦が始まると、歌舞伎をはじめとする娯楽は自粛されるようになり、各都市への爆撃によって劇場が軒並み破壊されたことで、開園すら危ぶまれるようになりました。戦後になってようやく、空襲の被害から免れた劇場を利用して公演が再開されるようになったものの、GHQの要請によって公演が中止される演目が出るなど、一時期は衰退の危機に追い込まれるようになりました。こうした動きは多くの関係者によって食い止められ、新たな歌舞伎役者が舞台に上がるようになるなど、空前の歌舞伎ブームが起こるまで状況を改善させることに成功しました。
現在の歌舞伎事情は
戦後日本の復興に伴い、さらに発展した歌舞伎ですが、現在の歌舞伎も時代を反映して様々な変化を見せるようになってきています。古典落語をさらに楽しんでもらうために、あえて江戸時代に見られた人力の舞台装置を設置した舞台小屋を建設したり、過去に作られたことのない新しい演目や、斬新な舞台装置を積極的に取り入れたスーパー歌舞伎と呼ばれる歌舞伎を行ったりと、より多くの人に歌舞伎を楽しんでもらうための取り組みを積極的に行っています。伝統芸能は若者が触れる機会が少なく、今後の発展にも影響するのではと言われていますが、そうした状況を避けるための活動によって、現在も歌舞伎は幅広い客層から支持を集めています。
歌舞伎が外国人の目に触れるようになったのは明治時代のころで、一般の方が実際に公演に足を運べるようになり、歌舞伎が海外で公演されるようになったのはつい最近です。そのため歌舞伎を実際に見たことがないという方のほうが圧倒的に多く、歌舞伎を行う側も対応しきれていない点も多いので、実際に見るとなると大変はことも多いですが、字幕モニターの導入や英訳パンフレットの販売など、少しずつ海外でも受け入れられるための努力を続けているので、興味のある方はぜひ一度、実際に歌舞伎をご覧ください。
(noren Ichiro)
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