良寛さんってどんな人?愛と慈しみの詩人、越後の名僧の生涯


~究極の断捨離(だんしゃり)生活、一衣一鉢(いちいいっぱつ)の無欲で自由な生活。~

良寛さんって何をした人?」と聞かれて真っ先に思い浮かぶのは、村の子供達とかくれんぼ手まりで遊んでいる良寛和尚の姿です。子供と遊ぶ素朴でやさしいイメージのある良寛さんですが、実は宗教は仏教「曹洞宗」、師の大忍国仙宗祖道元の教えを守り、生涯寺を構えず、妻子を持たず、物質的には無一物に徹し、清貧の思想を貫いた人です。また沢山の和歌漢詩を残しており、日本を代表する詩人で、俳句では世界的に知られる下記名句を詠んでおります。

焚(た)くほどは 風がもてくる 落ち葉かな

(庵で煮炊きをする落葉はいつでも風が運んでくれる。自然にまかせた暮らしで満足しているよ。)

また書道においては書家(?)として自作の詩をかいたものを中心に楷書、行書、草書など和様(わよう)の最高峰と絶賛されています。こんな良寛さんの人間性は多くの人々から敬慕されており、あの夏目漱石も大ファンだったそうです。あなたは知っていましたか?

ddaf544cb41e3ec7ce6f05ea89973748

良寛の生涯(1758~1831 本名は山本栄蔵)

江戸末期、越後(新潟県)出雲崎に生まれる。家は代々名主を務める名家で、良寛はその長男。家督を継がずに18歳で出家し、備中(岡山県)円通寺(曹洞宗)の国仙和尚に学び、得度。34歳で諸国を行脚した後、39歳で越後に帰国する。生涯寺を持たず、 粗末な草庵に住み、子供と遊び、詩歌を作り、書を書き、日々托鉢で暮らす。天保2年74歳で逝去。晩年の貞心尼との恋のエピソードは有名。

 

良寛さんの有名な逸話あれこれ

(かくれんぼ)

秋の日、良寛は子供たちと隠れんぼをし、刈入れの藁(わら)の中に隠れた。夕暮れになって、良寛を探し出せなかった子供たちは帰ってしまった。翌朝になって農夫が良寛を見付けて声をかけると、良寛はまだ両手で顔をおおったまま、昨日と同じ格好でしゃがんでいた。

(泥棒)

ある時、良寛が住んでいた五合庵に泥棒が入った。 泥棒は粗末な庵の中を見渡してみたものの、盗むものが何もないので、良寛の寝ている布団を盗ろうとした。良寛は知らないふりをして寝返りをうち、泥棒が取りやすいようにしてやった。その晩は十五夜でお月様がきれい。

盗人に取り残されし 窓の月

(気の毒な泥棒もこの月の美しさは盗めなかったなあ)

(竹の子)

ある年の春、五合庵の脇の厠(かわや)に竹の子が生えてきた。それが伸びて、天井につかえたのを見た良寛は、かわいそうに思い、ろうそくで天井を焼いて穴を開けようとした。しかし、火が回って厠をみな焼いてしまった。

 

良寛さんの和歌

約1400首残しています。

この里に手鞠つきつつ子供らと 遊ぶ春日は暮れずともよし

霞立つながき春日に子供らと 手鞠つきつつこの日暮らしつ              

風は清し月はさやけしいざともに 踊りあかさん老いのなごりに

月よみの光を待ちて帰りませ 山路は栗のいがの多きに

形見とて何を残さん春は花 夏ほととぎす秋は紅葉ば

 

良寛さんの漢詩

約500首あり、大変高い評価を得ています。

時に憩う(ときにいこう) 

薪を担うて 翠岑を下る(たきぎを にのうて すいしんをくだる)

翠岑 路は平らかならず(すいしん みちは たいらかならず)

時に憩う 長松の下 (ときにいこう ちょうしょうのもと)

靜かに聞く 春禽の聲 (しずかにきく しゅんきんのこえ)

(現代語訳)   

薪を背負って春の山道を下ってくる。

緑の峰の山道は平坦ではなく、歩きにくい。

時々松の木陰にたどりつき休んでいる。

静かに聞くのである、春の鳥の鳴き声を。

 

良寛さんの晩年の恋

孤独と清貧に生きた良寛の晩年に、明るい華やぎが生まれます。良寛70歳の草庵に、美貌の尼僧、貞心尼(ていしんに)30歳が訪れるようになったのです。仏道の師と弟子としての二人は良寛の亡くなるまでの3年間を、恋い慕う心を和歌に託して交流しました。貞心尼のまとめた『はちすの露』には二人の相聞歌が50数首収められています。

君にかく相見ることの嬉しさも まだ覚めやらぬ夢かとぞ思ふ貞心尼)

(師の君に初めてお逢いできた嬉しさは、まるで夢の中にいるような心地です。)

夢の世にかつまどろみて夢をまた 語るも夢もそれがまにまに良寛)

(夢のようなはかない世の中で、うとうとと夢を見るのも良し、夢から覚めてその夢を語るのも良し、成り行きにまかせましょう。)

死を目前にした良寛は、貞心尼に会いたいという思いをつのらせます。

梓弓春になりなば草の庵(いお)を とく出て来ませ逢ひたきものを

(春になったら、草の庵を出て、早く私の所に来てください。貴女に早く会いたいなあ)

何時いつと待ちにし人は来たりけり 今は相見て何か思はむ

(いつ来てくれるのだろうかと待っていた、貴女に逢えてこれ以上の嬉しいことはないのだよ。)

良寛と貞心尼 像

良寛と貞心尼 像

 

そして良寛は貞心尼と親族に看取られて74歳の生涯を終えます。

(辞世の句)

うらを見せおもてを見せて散るもみぢ

良寛の書(天上大風)

(noren Rumiko)

日本の伝統文化『詩吟』はとても魅力的


関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

言語

翻訳はみつかりませんでした

おすすめ記事

  1. 東京から一時間ほどで行くことができ、神社仏閣(じんじゃぶっかく)などの旧跡の他、山や海などの自然にも…
  2.  今や大人の趣味コレクションとして大人気の「こけし」。“こけ女”(こけし女子)ブームもあり、様々なこ…
  3. 北陸新幹線の開業によって東京から金沢まで最速2時間半ほどで行けるようになったことから、ますます観光地…
ページ上部へ戻る