
日本の三大伝統芸能といえば、能、歌舞伎、文楽(ぶんらく)です。昨今の歌舞伎人気と比べると文楽はやや注目度は低いですが、世界でも類を見ない大人のための人形劇として、海外でも高い評価を得ている日本を代表する「無形文化遺産」です。
文楽の歴史
人形芝居のルーツは奈良時代の大道芸までさかのぼります。いっぽう鎌倉時代から南北朝、室町時代にかけては、平家や義経の悲劇などを題材にした浄瑠璃(じょうるり)が諸国を旅する芸人によって語られ、全国に広まっていきました。江戸時代にはこの人形芝居と浄瑠璃語りが結びつき、人形浄瑠璃が生まれました。(人形浄瑠璃を文楽と呼ぶようになったルーツは、植村文楽軒が人形浄瑠璃小屋を開いたことによる。)
文楽の歴史の上で、日本のシェークスピアと言われる劇作家・近松門左衛門(1653-1725)を忘れるわけにはいきません。元禄時代に活躍した近松は、『曽根崎心中』『冥途(めいど)の飛脚』『心中天網島』等沢山の名作を残しました。これらの近松の浄瑠璃を語ったのが、竹本義太夫です。彼は義太夫節という独特の語りを創作し、近松の作品をより効果的に語ることに成功しました。
文楽は、太夫・三味線・人形遣いの三業一体の総合芸術
物語の語り手である太夫(たゆう)、三味線、人形遣いの三業で成り立っています。人形はセリフをしゃべらないので、物語の筋から役のセリフまで、すべてを太夫がひとりでこなします。三味線弾きは太棹(ふとざお)という低い音色の三味線を使い、情景を描き出す演奏をします。
文楽の人形は、三人で一体の人形を操る「三人遣い」の形を取っています。主遣い(おもづかい)、左遣い、足遣いの三人で人形を動かすので、まるで生きているように人形の動きや表情が変化します。左遣いと足遣いは黒衣(くろご)を着ます。
文楽の人気作品『曾根崎心中』
『曽根崎心中』は、元禄16年に大阪で実際に起こった男女の心中事件を題材に近松門左衛門が劇化した作品です。まるで現代のワイドショーのような話題性のあるニュースが即、芝居になったのですから、上演は空前の大成功を収めました。その文楽公演の影響で心中事件が多発、江戸幕府が上演や脚本の執筆などを禁止するほど大流行したといわれています。
(あらすじ)
愛し合う男女、醤油屋の手代・徳兵衛と「天満屋」の遊女・お初。徳兵衛は、主人の親類との縁談を断わり、主人の怒りを買って店を追われた。さらに主人に返済しなければならない大金を油屋の九平次に騙し取られてしまう。もはや徳兵衛は死んで身の証を立てるほか、名誉を回復する手段はない。窮地の徳兵衛にお初は一緒に死ぬ覚悟を伝え、あの世で添い遂げるべく、二人は曽根崎・天神の森で心中する。
『曾根崎心中』舞台の見所
「天満屋の段」 縁の下から女の素足に触れて泣く男。
忍んで会いに来た徳兵衛を見つけたお初は、自分の打掛の裾に忍ばせて縁の下に隠します。死の覚悟を問いかけ、縁の下の徳兵衛がそれに答えるところは、女の足首を自分の喉に当てるという官能的な仕草で表現される名場面です。歌舞伎や新劇で人間が演じると生々しい感じのする場面ですが、人形の恋人たちは美しく演じます。
「道行の場面」 日本文学史上、屈指の名文
「この世の名残り、夜も名残り、死にに行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、一足づつに消えて行く、夢の夢こそあはれなれ。あれ数ふれば暁(あかつき)の、七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生(こんじょう)の、鐘の響きの聞き納め、寂滅為楽(じゃくめついらく)と響くなり」
(現代語訳)
この世の別れ、夜も別れと、死ににゆく身をたとえると、墓地への道の霜が、一足ごとに消えていく、そのような、夢の中の夢のように、はかなく哀れです。
ああ、数えてみたら、暁の七つの鐘が六つ鳴って、残る一つが、この世の鐘の聞き納め。死んで苦悩が消え、安楽を得たように響きます。
現代の恋人たちの聖地 お初天神(露天神社)
実際の心中事件が起きたのがこの神社の「天神の森」です。今は、縁結びの神様として、若い女性たちが参拝に訪れる、恋愛パワースポットになっています。
◆文楽を見に行くには
・国立文楽劇場(大阪府大阪市中央区日本橋1-12-10)
・国立劇場(東京都千代田区隼町4-1)
※その他、地方公演もあります。
大阪や東京の国立劇場では初心者向けに文楽鑑賞が開催されています。舞台の上に大きな字幕がでますので、セリフが聞き取れなくても心配ありません。イヤホンガイドも活用できます。
ぜひ一度、文楽を観に行ってみましょう!
(noren Rumiko)
日本の伝統芸能!!「日本舞踊」を知ろう
日本の伝統芸能「能・狂言・歌舞伎」
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。