
誰しもが知っている「武士」。
でも、そもそも武士って何だろう?知っているようで、知らない武士の歴史を5分で解るようにまとめました。
武士の発祥
武士の出現は10世紀頃、もともとは広い農地を持つ農民でした。自分の土地を守る為、武装化した農民の集団が武士の発祥と言われています。そしてこの頃の政治の主体は貴族でした。この農民集団の勢力が徐々に拡大しやがて、貴族政治から武家政治へと移行していきます。
最初の武家政権は源頼朝の鎌倉幕府です。その後、室町幕府〜戦国時代〜江戸幕府とおよそ700年に渡って武士が政治の実権を握る時代が続きます。
武士の全盛期
戦国時代に入ってから、武士の戦いはさらに激しいものになっていき、多くの技術も生まれるようになりました。特に合戦にまつわる技術の発展は目様しく、より相手が攻めにくくなるような防御設備の建設技術や、相手国の情報収集のための忍者などの人材育成、より遠方の相手を攻撃するための鉄砲やそれにまつわる新しい戦略が考案され、合戦の規模もより大規模なものになってきました。
現在観光名所などで見られるお城の多くも、戦国時代を期に建てられたものが多く、江戸城や大阪城といった数多くの城や城下町が開発されました。これらの城は相手の侵入を防ぐための設備が数多く導入されており、城が建てられた時代や地域によって、考え方や技術の違いを見ることが出来ます。
もちろん文化面でも様々な変化が現れており、茶道や和歌などの文化的な活動も積極的に行われるようになり、上の立場になればなるほど、より高い教養が求められるようにもなりました。
平和な時代の武士
700年続く武士の時代の内、およそ300年は江戸時代に分類されています。江戸時代は徳川幕府が政治の中心として活躍した時代で、その間は大きな戦争などが起きることも無く、幕末になるまでは平和な時代が続きました。この時代の武士にはもともとの武力に加え、高い事務処理能力が求められました。武家政権の中枢で高い事務処理能力を発揮する人たちを侍と呼び、侍は武士の憧れだったそうです。
江戸時代は非常に長く続いた平和な時代でしたが、それも海外からの使者が訪れたことで状況が一変します。最終的には江戸幕府による国の管理を終了することとなりましたが、多くの武士が反発し、各所で襲撃事件を起こすなど、様々な事件が頻発するようになりました。
結果としては明治政府が発足することとなり、武士の時代が終了するわけですが、その後の武士の境遇は様々でした。最初のうちは士族と呼ばれる上級階級として扱われていましたが、能力の無い武士はすぐに没落していきました。兵隊などとして活用する道も提案されましたが、武士の個人主義が兵の運用に悪影響が出ると判断されたため、採用は見送られたといいます。
しかし武士の考え方は国をまとめるのに役立つとされ、武士道の考えを積極的に広めるなど、長い歴史を持つ武士の考えは消えることなく伝えられることとなりました。
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