
日本の伝統文化である「茶道」には、「道」という言葉がついています。これは、「武道」や「書道」などと同じく、それぞれの分野を極める修行であることを意味し、茶の湯の道を極める修行が、「茶道」です。一見、敷居の高い茶道の世界ですが、そのこころもちは、もっと日常に近いところにあります。
正しく美しい挨拶の仕方を学べば、普段の生活での人間関係が円滑になります。多くの道具に触れることで、ものを見る目を養い、器を大切に扱う手さばきが身につきます。季節のしつらえを学べば、日々気忙しい生活から一歩引いて、広く大きく物事をとらえ、心が和やかになり会話も弾んだものになります。
総合芸術としての茶道
日本の伝統文化である茶道の中には、その他の日本文化の多くを内包する、総合芸術としての奥深い世界があります。
お茶を頂く茶室や露地などの空間、もてなしの懐石や菓子、お茶を点てて頂く作法としてのお点前、もてなしの心を示す季節や状況に合わせた道具や掛け軸、花、香、着物など、幅広い分野と関わりを持っているのです。
季節を五感で感じられる、衣食住すべておいて、もてなす側・もてなされる側双方の心が通い合う、心地よい状態をつくりあげる。そのような状態を「一座建立」(いちざこんりゅう)といい、茶道でとても大切にされるすがたです。
茶道の歴史
日常の風景である喫茶という風習は、西暦800年頃中国から伝わってきたと言われています。
12世紀頃、禅宗の僧侶が留学先であった宋の時代の中国から、抹茶の飲用法とその道具を持ち帰り、健康と長寿の薬として茶が広まりました。
15世紀に入り、茶の栽培が広がると、茶の味を飲み比べる闘茶が行われるようになり、そこで使われる道具や空間にこだわり、精神性を求める人々「茶数寄(ちゃすき)」が現れます。この頃には、「茶室」「点前」「道具」の三要素がそろい、茶の湯としての基礎が成立したと言われています。
室町時代の茶は「書院茶」と呼ばれ、中国を中心とした大陸伝来の道具に千金を投じて、富貴を誇示するような格式ばったものでした。対し、茶に禅の考えを大きく取り入れた「侘び茶(わびちゃ)」が村田珠光により起こり、武野紹鴎を経て、千利休により大成されます。千利休は織田信長、豊臣秀吉といった時の権力者のもとで活躍し、茶の湯の地位も確立していったのです。
茶道の流派
「侘び茶」を大成した千利休は、茶道の流派のすべてに共通する茶道の祖先と言われています。
千利休の直系の孫である宗旦(そうたん)の息子、利休を祖とし数えて四代目で、表千家、裏千家、武者小路千家の三千家となり今に続いています。また、千家系以外の流派には、古田織部の流れを汲む遠州流、石洲流などがあり、俗に「武家茶湯」と呼ばれています。
現在では、500以上の流派があるともいわれ、お点前の作法や道具に対する考え方は流派によって異なっています。いろいろな流派のお茶会に参加し、そのお点前やしつらえを拝見するのも、お茶の楽しみ方のひとつです。
日々の生活を豊かにする茶道、茶道の世界にもっと触れてみたい、でも、お稽古となると、ハードルが高い… そんな人は、まずはお抹茶を頂ける御茶屋さんにいってみましょう。また、公園などで開かれる大茶会への参加も、お茶席の雰囲気を楽しむことができます。
お茶席をもっと楽しむには、基本的な作法が分かると心強いと思います。次回は、お茶席の基本的な作法について、ご紹介します。
(noren Ringo)
茶道の世界を体験しよう! 浜離宮庭園『中島の御茶屋 編』Vol.3
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